studiogreen’s diary

ある日に想うヒーラーの言霊(ことだま)

神戸市立御崎幼稚園が、ない

先日、神戸市兵庫区ノエビアスタジアム神戸付近を車で通った。

私にとって懐かしい町である。

若かりし頃 約10年間暮らしたその町は、阪神淡路大震災後 大規模区画整理がなされ、すっかり美しい景観となったが、昼間なのにひとっこひとり歩いていない。

震災の影響で人口が減ったからなのか。

古くからの住民は高齢化であまり外出しないのか、はたまた震災まであった金平市場などの商業施設が近隣に無くなったせいなのか、理由は分からないが、美しい街並みが閑散としていて妙に物寂しい。

その町の中、御崎町2丁目の市営住宅の敷地内に私の息子が通った神戸市立御崎幼稚園がある。というか、あった。

この辺りを車で素通りしてきた昨今、なぜかこの日は町の静けさが気になり、車を停めてその場所を覗きこんだ。

待機児童問題とかが社会問題としてニュースに取り沙汰されていたりするから、幼稚園なんて然う然う(そうそう)無くならないだろう、って思ってた。なのに、、、

工事中の様なグリーンのフェンスに縁取られたその場所は、確かに神戸市立御崎幼稚園の門扉。

かつて子供たちが園庭で遊ぶ賑やかな騒ぎ声も 今はない。

鉄製の門扉は赤錆びて所々ペンキが剥がれ 園庭には雑草が生える程もう何年も誰も足を踏み入れていない 手入れがされていないのが見てとれた。

ここは歴史ある場所。大正期より昭和のはじめ頃まで神戸市立御崎尋常小学校があった土地(神戸市立図書館リファレンスより)で、

その後昭和14年から神戸市立盲学校となり、戦災で焼かれた後 民家や空き地となり、やがて幼稚園になった。

園庭には今も神戸市立盲学校の小さな石碑が残されている。

視覚障害者の為の歩行訓練の第一人者である木下和三郎氏が教諭を務められていたそう。

片眼の不自由な私には、めっちゃ興味ある歴史。

調べてみると、ここは昭和45年以前に建設された建造物であり、老朽化のため神戸市の第2次マネジメント計画で建て替えられるらしい。

今も存続している他の幼稚園では、その沿革やら歴史がネット上のそこかしらに綴られているが、私が息子の手を引いて通ったこの幼稚園には、何も無い。神戸市立御崎幼稚園とググっても本当に何も引っ掛からない。

何も無いから、余計 寂しくなった。

園庭の神戸市立盲学校の石碑もその内取り壊されてしまうのかしら。

神戸市によって建て替えられた後、神戸市立御崎幼稚園のモニュメントは何か残してくれるかしら。

現時点ではまだ建物はある。けれど、子供たちの笑い声や園庭の土けむり、息子が大好きだった砂場の山、鉄の門扉の軋む音、花壇に植えられた草花などが無くなった今歴史ある土地の軌跡が消されてしまう焦燥感で、たまらなくなり、ブログに残そう。

この町にまつわるお話はいっぱいあるけど、又 別の日に。

神戸市立御崎幼稚園の卒園生の皆さん、

幼稚園の建物が見られるのは 今のうちです。