おばあちゃんの記憶-----memory of my grandma-----
私の祖母は
明治生まれの人でした。
92歳まで
健康的に過ごし
寝込んだのは
亡くなる前の
ほんの数週間だけ。
祖母の昔を知る人いわく
祖母は
40歳代の頃から
狭心症を抱えていたそうですが
私が知る
老いてからの祖母は
それはそれは精力的に
日々の生活を
楽しんでいるように
見えました。
昨今の《介護》なんて
無縁の暮らしでした。
そんな私の自慢の
祖母の思い出話を
今日は
してみたいと思います。
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祖母がまだ
70歳代の頃のこと
商売やら(?!)で忙しかった両親は
私を祖母の家に
しょっちゅう預けました。
そのお陰で
私に兄弟が出来た事は
大人になってから
気づきました(www)
そんなある日のこと
『○○ちゃん、
按摩(あんま)さん行こかー。』
『うん!!行く~。』と
3才くらいの私。
祖母はよく
幼い私を連れて
隣町の
マッサージ屋さんに
出かけました。
マッサージ屋さん
といっても
最近の診療室のような
設(しつら)えは無く、
長屋の自宅で
開業されている
板敷きと
畳の間があるだけの
簡素な佇まいだったように
記憶しています。
その方は
一目で盲目であるとわかる
黒い丸眼鏡をかけた
作務衣(さむえ)姿で
男性なのか女性なのか
よくわからない風体の
でも、
幼い私に
毎回 あめ玉をくれる
優しい先生でした。
先生というのは、
祖母が
その方を『先生』
と呼んでいたから。
その先生のお宅に行くのに
祖母は
幼児の手を引いて
片道5キロメートル程の道のりを
歩いて出かけていったのです。
小柄な祖母の脚なら
おそらく
1万歩くらい
歩かねばならなかった
のではないでしょうか。
私は私で、
必死に
祖母に遅れをとらぬ様
あめ玉欲しさに
がんばりました。
現代の
70歳代の方々で、
往復2万歩
歩ける人は
どれくらい
いらっしゃるかしら?
今考えても
おばあちゃんは
凄い!!と思います。
先天性股関節脱臼症で
2才まで
歩けなかったと
両親から聞かされていた
私自身も
おばあちゃんを困らせる事なく
歩き続けたのだと
考えますと、
こちらもスゴい!!!
皆様の
御祖父母さまは
どんな方ですか?
おばあちゃんとの
思い出は
一緒に過ごせる時間が
短ければ短いほど
貴重である事は
疑いようもありません。
流行り病騒ぎで
会えなかったご家族様も
おじいちゃんや
おばあちゃんに
会いに行ってあげてくださいね。
若い人に
たくさんの
思い出をくれる代わりに
おばあちゃん達は
きっと
若い人から
元気のパワーを頂いて
要介護状態になんて
ならないと考えます。
今まさに
可愛い孫に
小遣いをあげる為に
頑張っている
じぃじや ばぁばも
多いのではないかと
思います。
思い出したら
泣けてくる程の
かけがえのない記憶は
やさしくて
切なくて
心をいつまでも
温めてくれるもの。
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