studiogreen’s diary

ある日に想うヒーラーの言霊(ことだま)

我が家にはテレビはありません-----wagayaniwa terebiwa arimasen-----

皆さんのお宅には きっとテレビという家電製品が当たり前のようにあると思います。

私の家では10年ほど前にテレビが壊れて以来 テレビを買わなくなりました。なぜなら、テレビで流れる情報には、『えっ?ホント?』と思えるような不思議な事柄が多かったから。

三種の神器と言われた程の昔はテレビは高級品で、何十回ものローンを組んで購入したそうですが、最近では安い海外部品を使いコストが抑えられて作られているので 昔と違いとても安く手に入るようになりました。

家電量販店や通販でもいつでも買えるものだけど、私は買わないと決めました。

テレビが壊れるまでは、我が家でもごく当たり前のように大画面のテレビがバァーンと鎮座し、在宅の時には四六時中 点けっぱなしのような状態でした。

朝起きたらまずテレビを点け、天気予報やらその時々の時事ネタやら事件事故のニュースを見て、食事中もテレビを見ながら、下手をすると眠りについても点けっぱなしにしている事もしばしば。

テレビが垂れ流すダイエットなどの健康情報なんかも参考にしたりして、ちょっと賢くなったような気がしていました。

ある健康番組の情報が嘘だったというニュースが流れた時にも、一部の番組制作会社が視聴率を上げるためにやってたんだろーくらいに思っていました。

ところが何故かテレビが故障した頃には、私にとってテレビは不必要な存在になっていました。

テレビ番組にはスポンサーがついていて、そのスポンサーに都合の良い番組内容しか作られていない事に気がついてしまったんです。

当たり前と言えばそうなんですが、例えば身体に悪い食品添加物が満載の商品を作っている食品メーカーがスポンサーになっている番組で、食品添加物の問題に触れる内容は 制作会社としては問題提議しにくいわけです。

そんな事柄に気づいてしまって以来、どの番組もニュースでさえ疑念を持つようになり、すっかり面白くなくなってしまったのです。

テレビを持たなくなったその代わり、自分で色々 勉強するようになりました。

垂れ流される事を見聞きするのではなく、自ら情報を取りに行くって感じです。

本をたくさん読むようになり、その事実を知っていそうな人に実際に会いに行き話を聞いてみたり、インターネットも相反する情報の双方を精査してみたり、テレビをなんとなく見て ひとつの情報だけに洗脳されるのではなく、理路整然とエビデンス(根拠)が示されていない方の情報は却下するっていうクセをつけていったら、あまり一部の情報に惑わされなくなりました。

そして 自分の頭で考える。

テレビを点ける点けないは個人の自由ですが、点ける事が習慣になっている人はちょっと危ない。

少し偏りのある情報であったとしてもずっと毎日毎晩見聞きしていると、それが事実のような気がしてくるものです。

テレビが無い生活も 悪くないものですよ。

情報は誰かが与えてくれるものではなく、自分自身で取ってきて精査するもの。

その為にはあらゆる事に興味を持ったり疑問を持つ事が大切なんですけど、皆さんは現在どんな事に関心がありますか?

私が現在 関心を持っている事柄については、また別の日に。

皆さんが心身ともに健やかな毎日を送られますことをお祈りしております。

 

 

 

 

豆は歳の数より一粒おおく☆恵方巻は!?

''鬼は~外、福は~内''

スーパーの催し物コーナーに鬼のお面が飾られ、大豆や豆菓子がずらりと並んでいます。

もうすぐ節分ですね。

バレンタインの方がどちらかというと売り場面積的に幅を利かせている様な気がしますが、そこは日本古来の伝統文化として大切にしたいもの。子どもが大きくなった今でも年中行事として何とか存続しています。

スーパーや百貨店、コンビニでも恵方巻が予約販売されている近年ですが、食に対するこだわりから、我が家では毎年手作りします。

年に一度だけ登場する我が家の巻き簾(まきす)はなんと30年もの。ウイスキーだったら大変な年代ものですが、竹製の巻き簾もなかなか ウイスキー並みに渋い色合いに変化しています。

さて、関西の節分には欠かせない恵方巻ですが、手作りのご経験のある方にはお分かりいただけると思うのですが、これが物凄く難しいんです。

中に入れる具材、酢飯、焼き海苔の三位一体(さんみいったい)どれもが良い塩梅(あんばい)で準備できないと美味しく作れない。

熟練の巻き簾で巻くテクニックでは、誤魔化しきれない難易度があるんです。

特に酢飯、これは米の品種・ご飯を炊く時の水加減・寿司酢の味加減・寿司酢の量とご飯のバランスがいい感じに整わないといけません。

それから中に巻く具材の下準備は、厚焼き玉子を焼く・こうや豆腐を煮る・かんぴょうを甘辛く煮る・きゅうりを切る・椎茸とニンジンを細かく切って煮る・三つ葉を茹でる等々、材料を買い回るところから下準備まで かなりの手間隙(てまひま)がかかります。

最後に焼き海苔。これをコストカットしては台無しです。

昔、『味はバターで決まります』とテレビCMにありましたが、巻き寿司は例えると『味は焼き海苔で決まります(断言)』(笑)

昔は商店街の海苔専門店に買いに行ったものですが、最近そういうお店も少なくなり、専らネット通販で良い海苔屋さんを見つけています。

さあ、今年もお母さん頑張ります。

がんや認知症の発症に大きく関わる食に対して真摯に向き合おうとしたら 手作りが大切と実感しています。

まだ、ブログを始めて間がないので、食が健康に欠かせないというエピソードなどは、又 別の日に。

今年の恵方巻は韓国の【キンパ】風に作ってみようと思います。

 

 

 

 

神戸市立御崎幼稚園が、ない

先日、神戸市兵庫区ノエビアスタジアム神戸付近を車で通った。

私にとって懐かしい町である。

若かりし頃 約10年間暮らしたその町は、阪神淡路大震災後 大規模区画整理がなされ、すっかり美しい景観となったが、昼間なのにひとっこひとり歩いていない。

震災の影響で人口が減ったからなのか。

古くからの住民は高齢化であまり外出しないのか、はたまた震災まであった金平市場などの商業施設が近隣に無くなったせいなのか、理由は分からないが、美しい街並みが閑散としていて妙に物寂しい。

その町の中、御崎町2丁目の市営住宅の敷地内に私の息子が通った神戸市立御崎幼稚園がある。というか、あった。

この辺りを車で素通りしてきた昨今、なぜかこの日は町の静けさが気になり、車を停めてその場所を覗きこんだ。

待機児童問題とかが社会問題としてニュースに取り沙汰されていたりするから、幼稚園なんて然う然う(そうそう)無くならないだろう、って思ってた。なのに、、、

工事中の様なグリーンのフェンスに縁取られたその場所は、確かに神戸市立御崎幼稚園の門扉。

かつて子供たちが園庭で遊ぶ賑やかな騒ぎ声も 今はない。

鉄製の門扉は赤錆びて所々ペンキが剥がれ 園庭には雑草が生える程もう何年も誰も足を踏み入れていない 手入れがされていないのが見てとれた。

ここは歴史ある場所。大正期より昭和のはじめ頃まで神戸市立御崎尋常小学校があった土地(神戸市立図書館リファレンスより)で、

その後昭和14年から神戸市立盲学校となり、戦災で焼かれた後 民家や空き地となり、やがて幼稚園になった。

園庭には今も神戸市立盲学校の小さな石碑が残されている。

視覚障害者の為の歩行訓練の第一人者である木下和三郎氏が教諭を務められていたそう。

片眼の不自由な私には、めっちゃ興味ある歴史。

調べてみると、ここは昭和45年以前に建設された建造物であり、老朽化のため神戸市の第2次マネジメント計画で建て替えられるらしい。

今も存続している他の幼稚園では、その沿革やら歴史がネット上のそこかしらに綴られているが、私が息子の手を引いて通ったこの幼稚園には、何も無い。神戸市立御崎幼稚園とググっても本当に何も引っ掛からない。

何も無いから、余計 寂しくなった。

園庭の神戸市立盲学校の石碑もその内取り壊されてしまうのかしら。

神戸市によって建て替えられた後、神戸市立御崎幼稚園のモニュメントは何か残してくれるかしら。

現時点ではまだ建物はある。けれど、子供たちの笑い声や園庭の土けむり、息子が大好きだった砂場の山、鉄の門扉の軋む音、花壇に植えられた草花などが無くなった今歴史ある土地の軌跡が消されてしまう焦燥感で、たまらなくなり、ブログに残そう。

この町にまつわるお話はいっぱいあるけど、又 別の日に。

神戸市立御崎幼稚園の卒園生の皆さん、

幼稚園の建物が見られるのは 今のうちです。