studiogreen’s diary

ある日に想うヒーラーの言霊(ことだま)

黄昏時-----tasogaredoki------

『黄昏(たそがれ)時って、「誰(たれ)そ彼」と書くのだよ。』

 

昔読んだ森瑶子の短編の物語の中のワンシーン。

小説家の彼が、主人公である彼女に贈るロマンティックな風景にのせた言葉。

この物語の結末は、彼のダメ男っぷりに気づいた彼女が彼から勇気をもって離れていくお話で、ちょっと切ないラブストーリーだったように記憶しています。

 

少し離れた場所から相手の顔が認識しにくい時間帯の事を 昔の人は黄昏時と呼んだのだそう。

最近、俳優の美輪明宏さんもYouTubeの動画内でこの黄昏という言葉について同じように解説していたので、この言葉を同じ感性で語る人がいる事を知り とても親近感を覚えました。

今はなき森瑤子という遅咲きの小説家の書くエッセーや小説が好きで、忙しかった10代~20代前半にかけての私は、彼女の描く世界観の中にリラクゼーションを求めていたのかもしれません。

彼女は『小説は根も葉もある嘘』と作品中で度々発言していましたが、美しい風景描写と共に 人種差別などの社会問題が実際に存在することを小説の中で教えてくれました。

なぜ根も葉もある、、のかというと、イギリス人男性と結婚していた彼女は、私たち日本人が持っている感覚よりずっと身近に 差別というものを肌で感じ取っていたのではないかと想像できます。

【望郷】という長編小説にそれは顕著にみられますので、興味のある方は是非 読んでみてください。

 

「差別はいけないこと」となんとなく認識していても、実際には社会のそこかしこでヒエラルキーは存在しています。

肌の色や髪の色の他に、思想や言論に至るまで、他者に対してマウントを取りたがる人が最近 多くなってきたかなと感じます。

 

会社・学校・地域コミュニティ・サークル等 国内でも昔から、いじめや村八分のような他者への攻撃はあったと思われますが、優生思想や選民思想を持つ人は世界的に見ると、日本のそれ以上の感覚であることが本当の歴史の中に隠れているかもしれません。

 

沈みゆく太陽を見ているとなんだか切なくて、、、

昔よく読んだ美しい文章を書く小説家を思いながら、現在私たちが置かれているヒエラルキーの場所...

なにも知らされず、なにも抗えず、ただ流されていくのが幸せなのか、

勇気をもって  NOと言える事が幸せなのか、

それは一人ひとりが考えなければならない事だと思う黄昏時。

 

https://vimeo.com/639961402/fb0ebb845f

 

https://rumble.com/v11o5vx-zoom.html