顔パンツの有効性-----kaopantuno yu~kousei-----
敢えて【顔パンツ】と呼ばせていただいていますが、
勘の鋭い方は もう何のことを指しているのかご承知ですね。
そう アレです、ゴムやら紐やらを耳に引っ掛けて顔を覆うアレのことです。
私は以前 仕事でクライアントに説明したりする時アレの英単語を名詞ではなく動詞として「隠す」という意味で語尾に『~される』とか付けて 日常会話で使う事が多かったので、
ここ数年の間に 名詞として流行語みたいに頻繁にこの語句が飛び交うようになって、なんとも違和感を感じるので
ここでは【顔パンツ】と統一させてもらいます。
さて、この顔パンツ....
薬局などのお店で販売されている時には さも清潔な衛生用品かのごとく振る舞っていますが、はたして清潔な衛生管理下で製造されているとは限らないし、
ひと度 人体に触れ高温多湿などの環境条件が揃えば、
実際には下半身につけているトランクスやショーツよりも 顕微鏡下で覗いたら もっと汚染されているかもしれない代物(しろもの)なんですよね。
胡散臭いったらありゃしない。(事実使用済みは、くっさ~いのですけどね)
皆さんは、この顔パンツ 一日に何回付け替えますか?
2~3回ぐらいでしょうか。
もしかして 一枚を一日中つけっぱなし???
TPO(ティーピーオー)に合わせてお食事会の時だけ【勝負顔パンツ】美人になります?
もうね、この話をし出したら オバサン笑いが止まんなくなっちゃいますけど、がんばって笑いを堪(こら)えて話しますと、
顔パンツ談義にはいつでも臨戦態勢だった私に 先日 遂にカモがやって来たのです。
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、、と、このお話をするその前に 私が膝の手術をしてもらった時のエピソードを少しばかりお話しなければなりません。
もうかれこれ十数年前 交通事故で負傷し膝の手術を受けなければ歩けない状態になった私は、医師からのインフォームドコンセントで、手術の失敗例についてお訊ねしました。
主治医である執刀医は、世間一般的に報告がある麻酔による事故・手術中の感染・術中や術後の死亡リスク等をそれぞれパーセンテージで教えてくれました。
まぁ決して少ない数字ではなかったので少々ビビりましたが、主治医の『私は失敗したこと無いけどね。』の一言で手術を決めたわけですが、その前に素朴な疑問。
術中の感染って何??
手術室って、無菌じゃないの??
スタッフ皆さん手術衣を着用され、顔パンツも しっかり着けてるやん、なのに何で??
手術室に勤務された医療従事者の方はご存じかもしれませんが、私は知りませんでした、手術室が無菌状態な場所なんかではなく、滅菌された顔パンツでも防げるものが限定される事を。
そんな経験から、顔パンツには絶対的な信頼を持たなくなり、今回の長らく続く顔パンツ強要で飛行機から引きずり降ろされ、裁判にまでなっている方がいる事を知り『何でやねん。』と憤りを覚えておりました。
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と言うわけで先ほどのお話の続き、、
先日某量販店でのこと、突然お店の従業員に高圧的な強い口調で、
半狂乱の形相で『お持ちでしたらマ○クつけてください!!!』
やぁー、びっくりしましたねー、2年半も勉強し続けてきた知識がやっと日の目を見るチャンスが実に唐突にやってきたのですから。
殆ど怒鳴られ怒られたような感じでムカついたので、100倍返し してやりました。
でもね、顔パンツの有効性や科学的根拠、法的強制力を話しても 糠に釘、
ポッカーンって アホ面こいてる店員に教えてあげるなんて時間の無駄でした。
私が百倍にしてお返ししている間にも、店内を行き交う人々は、
はいっ、「鼻出し顔パンツ」「顎(あご)顔パンツ」「鼻出し」、「鼻出し」「顎」「鼻出し」「鼻口半分出し」、、お次の方は
「顔パンツ無し」の背中に日本画が似合いそな強面のおにーさん。
とにかく、トイレでまともに手を洗わない人の数ほど、まともに顔パンツを装着できていない人の多いこと、多いこと。
因みに その店員に、どうして顔パンツをまともに装着できていない人や私と同じ着けてない強面のおにーさんには怒鳴りに行かないで
私にだけイチャモンつけてきたのか、私がメスだからなのかって尋ねましたが、明確な理論に基づく回答は得られませんでした。
世の中、アホばっかりかいな。
皆様、年上のオバサンに楯突(たてつ)く時には百倍返しの返り討ちに遭う覚悟を以て お声かけくださいませね。
高齢者の日常が心身の健康に及ぼす影響のこと-----koureisyano nitijyo~ga sinsinno kenko~ni oyobosu eikyo~nokoto-----
介護福祉士の養成施設である専門学校に通っていた数年前のこと、【介護の基本 Ⅰ 】の授業の中で教諭から、この国の文化や慣習を学び 高齢者との関わりを考察せよ、と そのレポート提出が課題として出されました。
『むっちゃ難しいなー。』
私の祖父母は とうの昔に他界していますし、こりゃ困った。
そこで私は、私のクライアントお二人にお願いして、研究対象になっていただきました。
リサーチは主に 聞き取り調査で、生い立ちから その方の価値観や生活習慣から現在の健康状態に至るまで 事細かに記録しました。
お二人は、筋肉量は違うものの背格好が同じくらいで お生まれの年代も近く、預金残高も似たり寄ったり 出産経験回数も同様でした。
同じ国に生まれ、激動の昭和から平成という時代を生き抜いてこられた方々で、お二人とも とても気さくに様々なエピソードを話してくれました。
A氏は、都会の駅近の戸建て住宅に核家族で居住。
Z氏は、駅から車で約30分の田園風景が広がる郊外に4世代同居。
違うところは 生活環境くらいなので お二人のリサーチ結果は そうは違わないだろうって、始めは思っていました。
ところが、生活歴を聞いていく内に 日常生活が健康状態に及ぼす影響が かなり大きい事がわかりました。
それぞれの気質的な部分にその違いは顕著で、A氏の一日の心身の活動量はZ氏の半分にも満たず、何かと言葉尻に無気力感がみられました。
かたやZ氏は 朝から畑に行き朝食の食材の野菜を収穫してから 大人数の食事を作り、食後にはお孫さん達を車で駅まで送りに行き、それから寝たきりのお姑さんのお世話をしたり畑仕事やご近所の方と通販で出荷する製品作りをしたり、とにかく息つく暇もない程 忙しい日々を過ごしていました。
A氏は毎日のように病院に出掛け、そこで色々な人に愚痴を話すのが日課とのことでした。
私が着目したのは、身体を動かしているかどうかではなく、精神的繋がりのあるコミュニティが身近にあるかどうかです。
コミュニティが沢山あれば有る程 精神的に負荷がかかるのは想像できます。その負荷をストレスとして重荷に感じるか 情報獲得手段として受け入れるかどうかは人それぞれです。
ですが、親身になってコミュニケーション出来る環境にある場合と、そうでない薄っぺらいコミュニケーションしか取りようのない環境にいる場合では、健康状態に大きな差が生まれます。
A氏は、このリサーチの数ヵ月後に病気でお亡くなりになりました。
Z氏は 今もお元気にお孫さん達の成長を楽しまれています。
親身になって一緒に考えたり調べてくれたりする存在の有無は大切。
健全な日常とは、情報量とその質の違いによってもたらされるのだと思われます。
大病院が近くにあるか無いか、ではなさそうです。
情報量や質の違いにより、生死をも左右すると肝に銘じなければなりません。
たとえ業務独占の資格を持つ人に権威を振りかざされても、決して 考えもなく『おまかせします。』なんて言っちゃあダメなんです。
それは、まるで寸法の合わない服に自ら袖を通し 自由に動けなくなるのと同じです。
https://mobile.twitter.com/Tamama0306/status/1553730862683807744?t=vPNebIqIsJaq4aqxP3eKaA&s=19
今 そして これから-----ima sosite korekara-----
良い古書を見つけて最近 私の愛読書(バイブル)の仲間になった一冊との出会いのお話をしましょう。
皆さんは、本はお好きですか?
雑誌・写真集・漫画・様々な小説・ノンフィクション・ハウツー物・自己啓発本・絵本 etc....
町の小さな本屋さんは 最近はめったにお目にかかれませんが、大型ショッピングセンターやモール等には、一軒くらいは書店がテナントとして入っているのではないでしょうか。
私が若い頃には、書店に一歩足を踏み入れると 新品の紙のイイ匂いがしたものですが、最近は長~く本棚に据え置かれているためか あまり紙の香りがしなくなったような、、
気のせいでしょうか。
古本屋も少なくはなりましたが、『ええっ、こんなところに?』と、ビックリするような人目につかない商店街の路地裏や街角で、店主ひとり所帯でがんばってくれている店舗もあります。
さて、用事で出かけた折に ふと見つけた古書店に何かに誘われる様にふらりと入ると、カビ臭漂う店内で一際(ひときわ)ピカッと光る一冊が目に飛び込んできました。
吸い寄せられるかの如く思わず手に取りページを開くと、新品かと見間違う程 キレイで、どのページにも読まれた形跡がないような掘り出し物でした。
元のこの本の持ち主は、買ったはいいが敢えて読まずに大切に保管していたのか、何かの付き合いで買ったが興味が出なくて読まずにそのまま手放したのか、閉店した本屋の売れ残りなのか、、、
手に取った本のエピソードが気になりながらも レジに向かい、表紙に書かれてある丁度半値でお会計を済ませました。
その一連の行動は、しぐさの様に自然で何の戸惑いもなかったので、自分自身 ちょっと驚いていました。
古書店なんて目もくれなかった若い頃に比べて、随分厚かましくなったなー、と少し自分に苦笑いしながら その本を持ち帰りました。
厚かましいというのは、そもそも書籍はその著者の思いや考えが広く世に知れわたる事を目的としており、製本となるまでには多くの人の尽力により成立する情報媒体であるので、定価で購入するのが消費者の最低限のマナーであると思うからです。
出版されてから長く時を経ているとはいえ 新品同様のものを半値で取引したのが、なんとなく申し訳なく居心地悪いような気がしていました。
それと、私は 潔癖性。
二十歳になるまでに、肺炎を2回と髄膜炎を1回罹患し死にかける事度々、これまた潔癖性の母親の執拗なまでのスタンダードプリコーション(清潔不潔の指導)も相まって、かなり重度の気持ち悪がりなんです。
ですから本来の私は、他人の手垢が付いてあるであろうものを好き好んで購入する事は殆どありません。
今 巷で話題の感染症騒ぎも、誰よりも真っ先に ビビっていた部類の人間です。
けれど、人間は進化するもの。年齢を重ねることで様々な情報にふれ、厚かましくも賢く成長していくもんだなーと、我ながら感心している今。
そして、これからも たくさんの良い情報を取り入れて 進化し続けたいと考えています。
新しい私のバイブルの内容については又 別の日に。
皆さんにも よき出会いがありますように。
https://www.bitchute.com/video/OV4vWKgvGDT9/
https://www.bitchute.com/video/ikcthN2ogi9s/
黄昏時-----tasogaredoki------
『黄昏(たそがれ)時って、「誰(たれ)そ彼」と書くのだよ。』
昔読んだ森瑶子の短編の物語の中のワンシーン。
小説家の彼が、主人公である彼女に贈るロマンティックな風景にのせた言葉。
この物語の結末は、彼のダメ男っぷりに気づいた彼女が彼から勇気をもって離れていくお話で、ちょっと切ないラブストーリーだったように記憶しています。
少し離れた場所から相手の顔が認識しにくい時間帯の事を 昔の人は黄昏時と呼んだのだそう。
最近、俳優の美輪明宏さんもYouTubeの動画内でこの黄昏という言葉について同じように解説していたので、この言葉を同じ感性で語る人がいる事を知り とても親近感を覚えました。
今はなき森瑤子という遅咲きの小説家の書くエッセーや小説が好きで、忙しかった10代~20代前半にかけての私は、彼女の描く世界観の中にリラクゼーションを求めていたのかもしれません。
彼女は『小説は根も葉もある嘘』と作品中で度々発言していましたが、美しい風景描写と共に 人種差別などの社会問題が実際に存在することを小説の中で教えてくれました。
なぜ根も葉もある、、のかというと、イギリス人男性と結婚していた彼女は、私たち日本人が持っている感覚よりずっと身近に 差別というものを肌で感じ取っていたのではないかと想像できます。
【望郷】という長編小説にそれは顕著にみられますので、興味のある方は是非 読んでみてください。
「差別はいけないこと」となんとなく認識していても、実際には社会のそこかしこでヒエラルキーは存在しています。
肌の色や髪の色の他に、思想や言論に至るまで、他者に対してマウントを取りたがる人が最近 多くなってきたかなと感じます。
会社・学校・地域コミュニティ・サークル等 国内でも昔から、いじめや村八分のような他者への攻撃はあったと思われますが、優生思想や選民思想を持つ人は世界的に見ると、日本のそれ以上の感覚であることが本当の歴史の中に隠れているかもしれません。
沈みゆく太陽を見ているとなんだか切なくて、、、
昔よく読んだ美しい文章を書く小説家を思いながら、現在私たちが置かれているヒエラルキーの場所...
なにも知らされず、なにも抗えず、ただ流されていくのが幸せなのか、
勇気をもって NOと言える事が幸せなのか、
それは一人ひとりが考えなければならない事だと思う黄昏時。
https://vimeo.com/639961402/fb0ebb845f
https://rumble.com/v11o5vx-zoom.html
見極めること-----mikiwamerukoto----
私は港町に住んでいるので、自宅の窓から外国船舶が港に出入りする様をよく目にしていました。
夜には 沢山のガントリークレーン(港のキリン)がライトアップされ、港全体が美しいオレンジ色に染まり 大きな外国船がそのオレンジ色に壮観を見せる風景を 静かに眺めるのが好きでした。
それが、この数年 感覚的にめっきり少なくなっているような気がするんです。ここ最近の円安を反映してそのようになっているのか、理由はわかりません。
まあ一隻ずつ四六時中 勘定していた訳ではありませんので、私の思い過ごしって事もありますが。
して、これも私の感覚的なものですが、『ハイパーインフレが来る』と一部の経済情報通の話を聞いて久しいこの頃、スーパーマーケットの棚の値札と自身の財布の中身を見比べると『いや、もはやスタグフレーションですやん。』と気づく訳です。
給料上がらないのに物価だけが高騰し しかも急激な短期間の貨幣価値の下落。
前回 食の安全についての記事を書きましたが、益々 由々しき事態です。
私は高校生の時 政治・経済を選択科目にしていましたが、教科書に出ていた【スタグフレーション】を身をもって体感するのは生まれて初めてかもしれません。
さて皆さん 財布の紐の縛り具合は現在 どのような感じでしょうか?
ケチって なるべく安い輸入肉を御所望ですか。
もしもの時のために価値が下落し続ける貨幣を大切に保管していますか。
個人消費が上がらずに 長らくのデフレに喘いでいたこの国の人々が、仕組まれた経済をこうも簡単に受け入れてしまうとは 正直驚きです。
表を歩けば、一様にマスク、マスク、、
従順で温厚な日本人気質と言ってしまえばそれまでですが、どうして皆さん疑問に思わないんだろう。
何かが おかしいと。
始めは私も深く考える事をせず、垂れ流されるネットニュースを真に受けて過ごしていました。2020年初頭には バカ高いマスクを買い求めるために早朝から薬局の列に並んでいたほどです。
けれど、沢山の情報に触れ エビデンス(科学的根拠)のある情報だけを選択していく内に気づきました、これは シナリオがある展開だなと。
幸い私の家にはテレビがないので、ある種の洗脳装置不足により、エアロゾルのない屋外でまでマスクをして歩く、というような茶番に付き合う事にはならず、親しい医師も保身や利権に関心のない人なので、そういう人が身近にいてくれる事が、今となっては良かったのではないかと思います。
どこかの組織に所属している人は、可哀想に 気づかないまま同調圧力に感化されていたりするのだと思います。
私はたまたま 10代で嘘っぱちの近代史を刷り込まれる事もなく、経済の流れから物事を把握しようとする癖がついているので、今回の一連のニュースによって不安を煽られる事も洗脳を受ける事もなく、自分で調べて専門家の意見を聞き その話の裏をイチイチ取って慎重にこの2年半過ごしていました。
特に自分の身体に取り入れる様々な物質(食品・薬品・医薬品など)を調べる作業には、多くの時間を割きました。
でもね、私みたいに暇な人ばかりじゃないですよね、世の中。
だから話さなければいけない、と思いました。私の大切なクライアントの命を守りたいと。
臨床試験中とは 治験中のこと、治験中とは 言い換えれば【人体実験中】
そう、多くの人が知らない事実ですが、現在治験中の医薬品が大手を振って まかり通っているんです。
そこには恫喝と利権と経済の流れが、私たちに一切知らされないかたちで存在するかもしれません。
公的機関のQ&Aには、緊急承認した経緯などが まどろっこしい文体で綴られていますが、詳しくは開発販売している製薬会社の添付文書の原文を読まなければ 訳がわからないでしょう。
日本語で改訂されているものではなく、英語表記の原文をです。
けれど、私たち一般人がググっても 必要な情報はヒットしません。それだけ私たちが暮らすこの社会は統制されている事にさえ気づけないようなシステムに もはやなってしまっているのです。
経済の動向と皆さんの健康との繋がりの話はまた別の日に。
真実に近づいた時 これまでの価値観が書き換えられる時、上手に見極められる様になるのだと思います。
https://rumble.com/vuh7sl-covid-reiner-fuellmich.html
https://rumble.com/voy2r1-monopoly-.html
食べるということの安全性--taberutoyu~kotono anzensei-----
インターネットの普及により 新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・書籍だけしかなかった頃に比べると様々な情報が氾濫する昨今、食品の安全性や危険性が情報媒体で多く取り沙汰されていますね。
さて、一体どれを信じたら良いのでしょうか?私たちは何を選んで食べれば良いのでしょうか?
まずどれかを選択する前に どこから獲た情報なのか、誰が示しているのか、噂程度のものか、しっかりしたエビデンス(根拠)のある定義なのかどうかを見ていかなくてはなりません。
そして その情報が、何の目的を以てどこを切り取って発せられているものなのかをしっかりと見て評価・判断していくのです。
昔は消費期限や賞味期限などという定義がなく、その食べ物が安全かどうかは、色や形を目で見て、指で押してみたり臭いを嗅いでみて食べられる物かどうか確認していました。
今は皆さん 食べ物を保管していて、その食べ物が安全か否か ご自身の感覚を頼りに分別していますか?
きっと違いますよね。私もそうです。
現在 市場に出回っている食品の多くに様々な薬品が使われています。
農薬・ホルモン剤・防腐剤・保存料・防カビ剤・抗生剤・酸化防止剤など食べ物に添加してある薬品を数え上げたらキリがありません。
私たちはある現象に対して発酵と呼んだり腐敗と呼んだりします。
微生物が物質を分解していく過程のことですね。
発酵は喜び、腐敗は遠ざけたいのが本音でしょう。けれど、発酵と腐敗を感覚的に選り分けられる人がどれくらいいるでしょうか?
「開封後はお早めにお召し上がりください」大抵の食品のパッケージにはそう書いてあります。
パッケージを開封したら食品が空気に触れる事で一気に劣化が進行する事と添加してある薬品が化学反応を起こす恐れがあるからですね。
私は若い頃 食品加工会社に勤務した経験があり、その杜撰(ずさん)な衛生管理体制に度肝を抜かれた事を覚えています。
現在では昔に比べオートメーション化の影響で、多少温度管理や衛生管理はマシになっていると思われますが、食品の消費期限や賞味期限の規定による薬品使用頻度が増えていることこそが食の安全と謳われているように思えてなりません。
腐敗しにくい食べ物は果たして安全でしょうか?
農薬などは非常に判りにくい例で、いくら無農薬栽培と謳われるものでも、輸送の際の劣化を抑えるために農薬がふりかけられているのを私たち消費者の多くが知りません。
しかも、ふりかけられた農薬は残留農薬ではなく、<食品添加物>に呼び名を変換されます。
そして まだマシかと思われる無農薬栽培の作物は高い。
私がスーパーで手に入れられる穀物や野菜と言えば、一般的な生産効率重視の殺虫剤・殺菌剤・除草剤・殺鼠剤・植物成長調整剤がたっぷりのものばかり。
鶏卵・食肉や養殖魚介類にも多くの薬品が使用されています。
加工食品の輸入原材料に於いては、調べれば調べるほど 目を覆いたくなる有り様かもしれません。
また、原材料に外国産のモノを使い輸入後に加工したものは、(国内製造)とか紛らわしい表示になっていたりします。
「そんな事言ったら、食べるもの無いじゃん。」って思いますよね。
そうなんです、日本の庶民の命を支える食の安全が今 危機に瀕しているのです。
関係省庁のホームページに書いてある事は眉唾もので、あらゆる利権を排除した私たち消費者に優しい内容とはなっていません。
私たちはとかく権威の法則に弱い生き物ですが、騙されないようにしなければ、この先
生命をも脅かす事態になりかねません。
どうか皆さん 賢く生きていきましょう。
くるんと曲がったキュウリや虫食いのある葉もの野菜、黄身がオレンジ色過ぎない卵を選んだり、外国産の食肉・国産加工肉(形成肉・ハム・ソーセージ等)は買わない、輸入小麦で加工された国内製造食品やコンビニ食・外国産原料の加工食品はなるべく避けるとか、何とか創意工夫して この難局を乗り越えて生きましょう。
飽食の時代と言われて久しいですが、食料自給率の低いこの国の食はもはや安全ではありません。
あなたは あなたが食べたもので出来ています。
健康的に長生きなのは素敵なこと◎-----kenko~tekini nagaiki nanowa sutekinakoto-----
心身ともに健康で長生きの人を見ていると、何となく共通点が有ります。
私のクライアントや友人知人のご家族もそれなりに良いお年頃になってこられた昨今、見えてきた共通性は
・友達または何でも話せる相手がいる①
・趣味といえる何かを持っている②
・遊ぶのが好き③
・食べるのが好き④
・自信満々でありながら反省もする⑤
・身なりを気にする(程よくお洒落)⑥
・老化や病気と闘わず(極端に抗わず)うまく付き合っていく⑦
・子供や孫、周りの若い人(血縁ではない人も含む)の未来を考える⑧
・経済的な余裕があり、ケチではない⑨
・物欲がある⑩
・動物やぬいぐるみ等かわいいものが好き⑪
・自らの性(ジェンダー)の意識がある⑫
・食欲や性欲に貪欲ではない⑬
・狂喜乱舞する程 嬉しかったことがある⑭
・他者が喜んでいるところを見ると嬉しくなる⑮
・生活圏内に参加できるコミュニティがある⑯
・親切とお節介の分別を理解している⑰
・他者に施しを与えることが出来る⑱
・自分以外の人に興味をもつことが出来る⑲
・感謝の念があり、それを上手に表現できる⑳
と、色々な方のお顔を思い浮かべながら並べてみましたが、
皆さんはいくつ当てはまりましたか?
分類分けすると、健康になるか病気になるかは
以下の要因の有無によってもたらされるのではないでしょうか。
【環境要因】①②⑦⑨⑯⑱
【個人的要因】③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑰⑲⑳
【活動参加要因】①②⑥⑩⑯
それぞれ重複するものもありますね。
私たち人間は 様々なストレスに対応しながら、時にはウィルスを細胞の遺伝子内に取り込んでうまく環境に適応しながら何万年も生き延びてきました。
人類の起源については諸説あり過ぎて どこから人間なのか限定しづらいのですが、現代人と同じように知能をもったホモ・サピエンスサピエンスが登場したのが15万年前とすると、私たち人間はそれ以降は特段の進化をしていないと考えられます。
つまり、石器時代のストレス対応方式の身体を持ったまま、現代社会を生きているという事になります。
そんな中 昔だったらとっくに亡くなっていただろう人が医学などの科学的進歩により無理矢理 生きさせられている人もいますが、
現代の様々なストレスと上手に折り合いをつけながら 出来れば健康的に長く人生を楽しみたいですよね。
目指せ長生き健康寿命!
このお話の分析などは又 別の日に。
私のクライアント及び知り合いの皆さん、上記20の要因は
あなたの事です。勝手に書いて ごめんなさい。